Raleigh Expeditionが終了し、一日また一日と時間が経つにつれてネパールでの記憶がより尊い特別なものへと変化しつつあります。ワイルドでありながら素朴で温かい一面を持ち合わすネパールに魅せられ、その興奮は帰国後も冷めることがありませんでした。この帰国報告レポートを通して、私の人生において大きな変化をもたらしたネパールでの経験、そしてRaleigh Expeditionの魅力を伝えられたら嬉しいです。
改めまして、7週間のネパールExpeditionに参加した第25期の山﨑菜奈子です。太陽がじりじりと照りつけるなか、トレッキングとコミュニティフェーズを終え、現地の方々や日本にいる家族や友人から「どこから見てもネパール人」と言われるほど真っ黒に日焼けして帰ってきました(笑)
この体験を通して学ぶことや考えさせられた事は沢山あり、自分自身の考え方や価値観が変わりました。例えば、「くよくよしていても仕方がない」、と何事もポジティブにとらえるよう心がけ、やりたいと思ったことは実践に移し、悔いのない人生を送りたいと思うようになりました。今回出逢ったボランティア達(イギリス、バミューダ、そしてネパール出身)からも沢山のことを学びました。ある22歳のイギリス人女性ボランティアはエチオピアに小児教育ボランティアへ赴いたり、香港へ英語教師兼女子ラグビーコーチとしてインターンを行ったり、ネパール渡航前に友達と3週間ほどインド横断旅行をしたりと様々な事に挑戦し、どんどん自分で道を切り開いてゆく姿はとても逞しく大きな刺激を受けました。一方でバミューダ出身の同じく22歳女性ボランティアはシングルペアレント家庭に育ち、島国観光地である故の高い物価、そして外国人労働者の優遇などによる就職難などにより彼女の経済状況は苦しく、Raleighへもローンを組んでの参加となった経緯を聞き、人それぞれ異なる背景を持つことを知り、「人生における大切なものは何か」といった人生観について色々と考えさせられました。
私は最初のフェーズは第一陣としてトレッキングに派遣されました。チームメンバーは登山経験者が多く、メンバーの間で途中下痢・発熱、転倒や低血糖値による痙攣を起こすハプニングなどもありましたが、同行していた医者の的確な処置と励まし合うことで困難を乗り越え、最終的には皆和気藹々と景色を楽しみながらトレッキングを行うことができました。また、トレッキング中はほぼ毎日ダルバット(タイ米に小豆のスープ、そしてカレー風味に味付けされたジャガイモ)が出されたので、すぐに飽きてしまい、お互いに「家に帰ったら何が一番に食べたいか」と質問しあい、食べ物トークでとても盛り上がりました。ボランティアの中には夢でスーパーのパスタ売り場を訪れ、どのパスタを買おうか迷っていると目が覚めたという人がいるほどでした。(笑)
トレッキングは毎朝4:30頃に起床、日々平均7時間ほど歩き、その日到着した村々に宿の値段交渉をし、宿泊する形で転々としてきました。ちょうど7月はモンスーン(雨季)だったので、雨にずぶ濡れになりながらトウモロコシ畑の小道を歩いたり、水牛の糞の混じったぬかるみを歩き、土砂崩れを起こした崖の斜面を警戒しながら横断しました。正直、旅の途中で疲労がたまってくるとやる気の出ない日もありましたが、変わりゆく神秘的な景色を見ているだけで、俄然とやる気が湧いてきました。旅のハイライトとしては、宿泊した宿で飼われている鶏がボランティアに追いかけられ、配膳された朝ごはんを蹴散らかしながら必死に逃げていたシーンが印象的でした。また、公共水道でボランティア達が体を洗い、洗濯をしている時に地元の人に連れられたバッファローが突入してきたり、あるボランティアはヒルに69箇所(最多記録!)吸血されたりと、笑いの絶えない3週間でした。
第二フェーズはコミュニティワークで、私は比較的小規模なアムダダ村に派遣されました。ホストファミリーは70代の未亡人ホストマザーお一人で、お嬢さんは日本に住み働いていると教えてくれました。村人の子供や家族の多くは諸外国に出稼ぎに行っていたり、留学をしていたりと、日本と同じく若者の都市流出と高齢化の問題を抱えていました。今回出会ったネパールの方々のうち、多数が既に日本に住んだ経験を持っているか、熱烈なアニメファンでいずれ日本へ行きたいと思っていたので、改めて「海外から見た日本」という視点で自分の母国を見つめ直すきっかけとなりました。このフェーズでは地元の小中学校に赴き、手洗いの大切さそして下痢の原因や症状などについて教え、地元の女性団体には生理・衛生について教え、一緒に再利用可能な生理用パッドを作るセッションを行いました。この女性団体と行ったセッションは特に印象に残っているイベントで、ジェンダー平等、女性のエンパワーメントに強く共感する私にとって、この村に住む女性たちの生活を持続可能な方法で変えるとても貴重で有意義な時間でした。ネパールには現在は廃止されているカースト制度、そして女性の生理に対するタブーが根強く残っています。特定のカーストに属する家庭は生理中の女性が台所に入るのを禁じ、極端な場合、生理中の女性は家族であっても男性には触れてはならず、共有のソファにすら座ることを嫌がる風習さえもあると聞かされました。この文化的タブー故、学校で生理や衛生に対する教育は軽視される傾向があり、命にも関わる生理衛生についてきちんと正しい情報を伝える大切さを感じました。さらに、セッション最後の質疑応答の際、村の女性からそれまで布切れを利用していたことを聞き、ショックを受けました。ですが、今回のセッションがあったことで、彼女たちの生活そして次世代の生活が改善され、正しい知識が受け継がれていくことを期待しています。
また、私の中でも最も印象的であったのが、ネパールの家族意識です。旧友であれ、道端ですれ違った人であれ、すべての人が「didi(お姉さん)」、「dai (お兄さん)」、「aama (お母さん)」、「bua (お父さん)」、近所の子供がいたら「bai(弟)」や「baini(妹)」と言った調子でお互いを本当の家族のように呼び合っているのは、ネパールの人々の心豊かさと温かさを反映していると思います。村人の家にお邪魔した時も必ず椅子や敷物を提供してくれ、食事の際にお皿が空にならないよう、常におかわりを持ってきてくれます。ネパールの文化は日本の文化と似ていいて、年長者に敬意を払って接することや、おもてなしの文化があること、稲作物を育てお米を主食とする所など、とても親しみを持ちやすい国です。後半3週間アムダダ村にホームステイさせてもらった時も、ホストマザーと一緒にロティと呼ばれる小麦粉で作る平べったいフラットブレッドを作り、出来立てを頬張った時の感動は良い思い出です。
このRaleigh プロジェクトの素晴らしいところは、ありのままの自分でいれたこと、そして異国の地で楽しい時も辛い時も一緒に過ごすうちに国籍を超えて、チームの間に強い絆が生まれたことです。多国籍チームであるからこそ、お互いの文化、価値観、そしてコミュニケーションの取り方の違いを認め、受け入れる姿勢が促進されたのだと思います。この経験を通して私は普段の生活では巡り会えないような人々と出会い、そして視野が格段と広まり本当に参加して良かったと感じています。また数年後、ボランティアではなく、ボランティアマネージャー(VM)としてRaleigh Expeditionに携われたらと思います。
最後に、この挑戦を応援し、可能にしてくださった沢山の方々にお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。Danyabaad!
ネパールではグルカ兵のような人やチベット難民にも話を聞けたら興味深いところです ジェンダー差別はアメリカ、ドイツ、ロシアもいろいろあり、脳とか身体的な性差からもう少し深く考えたいところです おかわりはインドやバングラ、ブータンや日本の東北にもあるので民俗的交流があるかもしれない